生活

普通に水にふれなくなった時のお話

水を触ることの恐怖。

触れるたびに構え、全身が震え

手袋の中の傷はただただ増えるだけの日々。

水を触らない事を意識して2年くらいのお話。


 

始まりは右手のくすり指の爪の際がとにもかくにも痒かった。

水でひやしたり、熱湯に指をいれたり、、

最初は何か食品によるアレルギー反応による痒みと捉え、特に病院も受診せず

乱暴に指の痒みを抑えていました。

元々アレルギー体質でも、アトピーもない人間だったので特に深入りもせず軽くとらえてました。

そこから約1か月くらい継続で指先全体が痒く、症状がひろがっている事を感じました。水泡ができ、掻いて、水泡が破裂しまた別の指に飛び、同じく水泡ができる の永遠のループが完成しました。

たまたま職場(飲食店にて勤務)に同じように手荒れ、アトピーがひどい方々がおり、かゆみ止めのくすりを塗ることで落ち着きはじめました。

がここから急激に加速がはじまり、てのひらに水泡が広がり、常に痒みととなって現れ、営業中も意識を手の痒みではなく他のことに向けることで落ち着かせる日々。

 

さすがに1つ目の病院へ。とりあえず手荒れとしか判断されず、

本当に痒いときだけつけてくださいの薬と、保湿をするための優しめの薬と種類を分けて塗布してくださいとのこと。ほかにも湿布もの、現在は飲んでいないが渡された飲み薬。

指示はされるものの、一向に良くなる未来は感じられず無心を求め日々を淡々と過ごす。


 

2024年9月。どこに行くにも手袋がてばなせなくなる。

まだ暑さが残るこの季節乾燥で手の皮が何回も剥けはじめ空気に手が触れることが怖かった。水に触れるが怖かった。営業中は人に見せられる手をしていなかったこともあり、タクシードライバーのような白い手袋で営業。旅行で海外に行ったときは白い手袋の上にゴム手袋で街をさまよい写真を撮るときも手袋が外せず異様な光景。

旅行から戻り知人におすすめされた2つ目の病院に行くも、1つ目の病院とさほど変わらず、湿布もの、飲み薬もいろいろ。酷過ぎたときは薬をこれでもかと塗りたくり、テーピングでぐるぐる巻きに「両手やりましょう」言われてが、さすがに仕事ができないですとなり片手のみ。

 

医者は治すことに重きおいてる。(もちろんいちばん重要)両手巻いて仕事ができるとおもっているのか。できる仕事のがあるのだろうかであれば是非に教えて欲しかった。そんなに治すことに重きを置いてくれるなら「休業しましょう」と言ってはくれないものなのか。

 

乾燥で手の皮フが破綻している状況。超敏感肌と変わった私の手には水分がたりていないとおもい、化粧水をたっぷりとつけ水分を保ち、薬を塗り、ワセリンで蓋をして手袋という完全防備。に見えるこの状況はそう長くは続かず、蒸れる。これも天敵。

皮フの呼吸が閉じ込められ痒みが増すという逆効果。我慢しようとも眠れない日々が続く。

目が覚めても状況は変わることなく冬を迎え、指の関節に合わせ割れに割れキズパワーパッドに頼る日々。そして手だけにとどまっていたのが全身に回り始めた。腕に赤みが増え、首、脇腹、前太ももと徐々に増える。

年を越えて欲しくなければ、日も越えて欲しくなかった。ずっと眠っていたかった。ご飯も食べたくなければお風呂なんてもってのほか。人に会うもずっと手を掻いていて自分の机の上だけが白く何もかもが不の気持ちでしかなかった。(こんな状況でも会ってくれていた友達には感謝)

ふと、自分には栄養が欠如してるのではないかと続けていた、朝のソイプロテインに夜ご飯の納豆めかぶなどの海藻類、やめてみた。すこし落ち着いた。食べては様子を確認し、何で痒みが出て何だと出なくて、自分の身体で色々を試した。がどんどんひどくなる一方だった。

イライラした。何件もの病院に行っても、「傷がひどいね」「薬出しとくね」 孤独だった。特に症状名もなく。今も特に症状名はない。


 

休むって難しい。規則のあるものではなく自分の意思で休みを作り出す。

小さな会社であればあるほど難しい。必ずしも同じ部署の人がいるわけではなく、休業をするなら、辞めるの選択枠しかないと思っていた。飲食店のスタッフで水が触れないなんて前代未聞だから。

会社は社員10人程度の小さな会社。個々に役割があり毎日をてきぱきと過ごす。店の雰囲気的には上も下も関係なく話が飛び交う仲のいい環境でした。ただ自分の性格的に気にしいと面倒見の良さが出ていることが難点。気を使いすぎる場面も多かった日々。

ただオーナーに「休業させてください」を伝えるシュミレーションは何度も繰り返し練習し、今後の自分のプランをきちんと伝えられるように考えその日を迎えた。

言ってしまってからは店のスタッフへの申し訳なさが強く出た。でもここにこれ以上いても貢献できることがなかった。罪悪感が増すだけの日々が続くよりは自分で申し出ることの大切さ。その決断を受け入れてくれたスタッフ達、店のオーナーの寛大さにとても感謝した。

 

お休みが始まった。手荒れは落ち着くも、心は全然休まらなかった。焦る気持ちに拍車がかかってしまった。「この先をどう生きていこう」「私は何ができるのか」何も決まらず、ただただ不安な気持ちを抱えたまま1か月が経ってしまった。

戻ってきた。自分のお休みを増やす形で戻ることにした。お店は普通に迎えてくれた。

もちろん休業明けで辞める選択もあった。けど、私はしなかった、まだ飲食で仕事がしたかったんだと思う。

 

ちなみに手は完治しておらず、数日働いてすぐに症状が出てきた。2週間と過ぎるころには休業前よりもひどいことになっていた。

手の皮フの皺という皺が伸びぱんぱんに腫れあがり、潤いがなく鮫肌状態。指は曲がらず、ペットボトル、缶が開けられないこともザラ。キズパワーパッドを常に抱え、手袋型のキズパワーパッドが出ないかなと毎晩願う日々。

少し前に手荒れの原因と思うものを除去したことで、3か月以上かけて落ち着いてきた。

そして思った。もう飲食店では働けないと。もう限界なのだと。コップの水が溢れるように溢れすぎていたのに気づかないふりをしていた自分に。誰かが言ってた。「追いかけてきたことを諦めたとしても好きなものはすきなままでいいんだよ」 私は飲食店で働くことが大好きだし、飲食店が大好き。それだけでいいみたい。だから次に進む。進めるよ 一歩じゃなくていい半歩でもいいから

 

同じ症状で悩む方、まわりで同じような方、どうか無理をしすぎないでほしいと思っています。どうか自分を責めすぎないでください。

(あくまで私個人の体験であり、皆さんが同じ状況ではありません。)